第七話

第3章 ジゴロ達の生活

 ホストクラブは、朝8時ごろまでは営業している。閉店になると自分の客が1組のところもあるし、5〜6組来ているホストもいる。閉店後は「アフター」となるのだが、大体は、一番太い客と行く。”太い客”とは、売り上げをあげてくれる、貢いでくれる客を言う。行く店はホストが選ぶが大抵は24時間やっている焼肉屋。新宿では叙々苑が多かった。ただし、ホストはお客と二人で店に入ることはない。他のお客に見られるのもまずいし、一緒にいる客と何かあるのも面倒な問題になるので、必ずヘルプを連れて行く。「ヘルプに飯を食わせなければならない」と口実をつくることで最終的に逃げることが可能だからだ。

  焼肉屋以外ならホテルのレストランでアメリカン・ブレックファーストということもある。俺は、ホストになったおかげで生まれて初めて焼肉を食ったり、しゃぶしゃぶや鉄板焼きの分厚いステーキなど高級なものを味わうことができた。

  ようやく酔ったお客を帰して帰宅となるはずなのだが、ホストはそのまま帰って眠れない。むしろ「店が引けてからが仕事」と言われるくらいやることが多い。住んでいるのは、大抵はマンションだが、ホテルに住んでいるものもいる。若手のホストは5〜6人で2LDKくらいのマンションを借り共同生活する者が多い。それには経済的な問題もあるが、女をそこに来させない言い訳ができるからだ。人気ホストでも後輩を一緒に住まわせるものもいる。後輩を住まわせることで、掃除・洗濯、クリーニング屋への往復やタバコなど丁稚のように使えるからだ。中には彼女がいたり、結婚しているホストもいるが、そうしたホストは「見せ部屋」を用意する。ワンルームマンションを借りて、生活感を作りこんで「ここが俺の部屋だよ」と女に見せておいて、実際は本当の部屋に帰る。

  ところで、店が引けてからは客からの電話が待っている。30分おき、1時間おきに電話がかかってくることもしょっちゅうある。今のように携帯電話もない時代。ポケットベルはヤクザか新聞記者しか知らない時代だった。電話には必ず出て応対する。お客と小まめに連絡をしないと客が切れてしまうからだ。受話器を持ったまま寝てしまうこともあった。

  逆にこちらから寝ずに朝・昼・晩と電話攻勢をかけるホストもいる。あちこちに昼飯を約束して出かけるホストもいる。あちこちの店でランチを食べる。少しずつ食べて4人も5人も掛け持ちで廻る。客の部屋をハシゴするホストもいる。SEXを売りとする「枕ホスト」と呼ばれるホストで、夕方まで4〜5件の客のところを廻り、全部発射してきた豪傑もいた。逆に絶対にSEXしないホストもいる。しかし、結局は持っているお客に合わせるのがホストである。例えばソープ嬢は普段お客とSEXしているので、そういう女には手を繋いだり腕枕をして添い寝してあげることが一番癒されることになる。SEXを求める女、ランチを食べたがる女、一緒に買い物をしたがる女、と女が何を求めるかによって対応が違う。

  夕方にようやく寝ることができるが、夜になればなったで営業電話をかけまくって同伴の約束を取り付けたり、その同伴も掛け持ちでダブル同伴だったりと24時間が仕事となるのである。

  ホストのタイプによって仕事の仕方は違う。前述のように枕ホストもいるが、話術・接待術だけで勝負するホスト、デートで勝負するホストなど様々。そうした合法的なやり方から非合法的な方法までいろいろな営業をする者がいる。中には本当に女を騙すホストもいる。わざと頭に傷をつけて「友達の車で事故っちゃって、ポルシェを傷つけたから2百万払わなければならない」とか「借金取りのヤクザに追われている」、あるいは自分の親でもないおばさんを俺の親だ、といって会わせて結婚サギまがいのことまでやるホストもいた。

  いずれにしても他のホストより目立とう、金を稼ごうとみんなギラギラしていた。
店はパイロットスーツだったが、たまに「タキシード日」というのがあった。そんな日はこぞってキメてきたものだ。ホストのスーツはまずオーダーもの。20年前当時でも7万円以上、高い人で30万円くらいのスーツを作る者もいた。ワイシャツは8千円以上、ネクタイはダンヒルやエルメスなど1・5万円以上、当時の人気のドミニクフランスというブランドもので3・8万以上するものもあった。カフスはダンヒルやダイヤ入りのものなど、ブレスレッドは18金もので最低50g、大きいのになると120gのものをしていた者もいた。時計はピアジェ、ロレックス、ダンヒル、カルチェ。当時はロレックスが人気だった。香水はかならずつける。必需品といっても良いくらいで、小さい瓶に入れて持ち歩いていた。

  大体、ホストは普段からおしゃれで普段着でも高価な皮のジャンパーを着ていた。当時は皮製といったら物凄く高く、ノーブランドでも皮のトレンチコートは30万くらいはした。皮製以外は毛皮が流行っていた。もっとも女もののミンクのコートは2千万円くらいはするが男ものはそれほどでもなく、百〜三百万円くらいした。タバコはパラメントが流行っていたが、そもそもは銀座のホステスが流行らせたのが発端らしい。

  車は当時、外車といったらアメ車しかなく、現在のようにベンツやBMWなどなかった。ヤクザはリンカーンやキャデラック、ホストの間ではコルベットが流行っていた。今でいうと、フェラーリのようなものだ。
  このような高級志向は、お客に見せ付けるというよりも、ホスト同士で自分がいかに売れているかを見せ付けるもので、女もそのために貢いでいるところがあった。

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