第九話
第5章 ヘルプ生活
ある朝、自宅へ帰ろうと新宿駅に向かっていたら、後ろの方から「おーい!クロサワ」と誰かが俺を呼んだような気がする。気のせいかと、歩き出したら、また「おーい!」という声が聞こえて振り返った。良く見ると水樹が自分を呼びながら小走りに近づいてくる。水樹は年齢も8歳ほど年上で、今までは仕事でひとことふたこと話した程度の関係だった。
「これから何?どこ行くの?」と聞くので、「いや帰るんですよ」と正直に話すと、「お茶しよう」と言う。「眠いから帰ります」と何度か断ったが、「まぁ、いいじゃないか」と水樹は人懐っこい笑顔で誘ってきた。相手の誘いに折れて、連れ立って近くのマイアミという喫茶店に入った。
二人とも珈琲を注文すると、すぐ、水樹が話しかけてきた。
「俺は別に店に稼ぎに来たわけじゃないんだ。伏見直樹という男がどんな商売をするのか、どんなやり方をするのか見に来ただけ。一週間か二週間で辞めるつもりなんだ」と言い出した。そんな人もいるんだ程度に思っていたら、いきなり「友達にならないか?」と言い出した。変わった人だな、と思いつつ、話していると何か人を惹き付けるものを感じて友達になることにした。
水樹は、いろんな店に連れて行ってくれた。高級ステーキ店、パブやスナック・・・。水樹には当時ソープ嬢をやっている女と同時に三人付き合っていた。大体、どの店に行っても、その中の誰か一人が付いて来る。一日に10万も20万も遣うのだが、必ずと言っていいほど女が払う。金がないわけではない。いつも、財布は分厚く、百万や二百万は入っていた。
家にも連れていってもらった。広い高級マンションの一室のある洋服ダンスには高級スーツやら何百万はする毛皮のコート、60万で買ったという皮ジャンなどがギッシリ詰まっていた。当時のソープ嬢は好景気もあって、一日に15〜20万くらいは稼いでいたらしい。金庫にも金が一杯入っていて、早く銀行に預けないと溢れてしまうのではないかと心配するほどだった。
しかし、何故か部屋に会社にあるようなタイムカードが置いてあった。後で聞いたら、女の生活をタイムカードで管理しているらしい。女は毎日タイムカードを押して店に出て、帰ってくるとまたタイムカードを押す。
車は当時高級車と言われたグロリア。頭はオールバックで、首には二五○gの18金ネックレス、30万はする高級スーツできめていた。パラメントをダンヒルのライターでつけ、長い足で大またに歌舞伎町を歩く水樹は、なかなか絵になっていた。
水樹は、午後になると歌舞伎町にある王城という喫茶店をよく根城にしていた。一〜二階は喫茶、三〜四階が同伴喫茶となっている店だった。俺がその店で新聞を読んでいると、「ウォッ!」と元気にやってきて、俺の前に座る。ビッシリ高級な格好で決めている上に迫力があり、オーラを発しているところがあった。「今日はこのくらい入った」と百万は有にある分厚い財布の中身を見せながら、「お前も早くこういう風にならなきゃな」とはっぱをかけた。
その日は、近くのテーブルに二人連れの女が話しこんでいた。若いが、どこかOL風の女だった。水樹がいきなり「ナンパしてきな」と言った。難なくナンパに成功すると、水樹に「OKです」と報告した。そのまま四人でお茶を飲んで話が盛り上がっていたが、水樹がちょっと席を立った間に、やや沈黙があった。俺もまだ話術に長けていない下っ端の時代だったので、水樹が戻ってくる前に女達は帰ってしまった。
水樹が戻ってくるなり、女の行方を聞いた。「逃げられた」と俺が言うと、水樹の顔が突然真っ赤になり、いきなり俺の髪の毛を掴んで振り回した。
「この馬鹿野郎!喫茶店代が無駄になったじゃねぇか!お茶代は俺たちが出さなけりゃならねぇじゃないか!お前は喫茶店代の重みが分かっているのか!」と怒鳴った。
振り回されながら、水樹が急に何で狂ったようになったのか、何で怒るかが理解できずにいた。今まで贅沢な暮らしをして、俺にも気軽に高級な食事を振舞ってくれた水樹が。水樹がようやく納まった時、俺の髪の毛は相当抜けたようだった。
「分かったか!二度とこんなヘマをするんじゃないゾ!俺達はプロなんだからな!こんなド素人な女に逃げられやがって・・・。今度、俺が男を見せてやるからな」
翌日の午後、水樹と連れ立って歩いていると、水樹が前を歩いているOL風の女を指差して俺に小声で囁いた。
「今から俺があの女をナンパする。口説いて二時間でソープへ面接に行かせるから見ていろ」
水樹は、言うなり小走りに女に駆け寄って、ふたことみこと話すと、女と近くの喫茶店に入って行った。俺も二人の後を追って店に入った。しばらくすると、女がボロボロと涙を流して泣いてしまった。水樹は、女の肩をやさしく抱きながら店を出た。そのまま付いて行くと、二人はソープに入って行った。
時間は二時間もたっていない。ソープの近くで待っていたら、水樹が再び女と出てきて、「じゃぁな!」と女に手を振り、俺の傍らにやってきた。どんなテクニックを使ったのか、俺にはまるっきり理解できなかった。初めて会った女を喫茶店で口説き、二時間でソープに面接に行かせるのも凄いが、喫茶店で何を話せば女を泣かせるのか?
水樹に聞いたが、「それは秘密だ。まだお前には教えられない。お前は、まだそこまでの段階じゃない」それだけを応えただけだった。
またある日、今度は俺が女子大生風の女二人組をナンパした。水樹は「お茶を飲もう!」と言って先に立ち、四人で王城に向かった。
王城に入るなり、そのまま水樹は三階の同伴喫茶に連れて行った。女は初めて王城に来るらしく、三階が同伴喫茶と分からないようだった。俺も、てっきりお茶を飲むのだと思っていたので唖然とした。
初めて同伴喫茶という個室に入った。部屋は区切られていて、水樹は隣にいた髪の短い方の女の肩を急に抱くと、俺たちを置き去りにして、いきなり奥の方の部屋に入っていった。俺は、もう一人の髪の長い面長の女と別の個室に入った。部屋の中は、長いソファがただあるだけで、殺風景だった。部屋の中を呆然と眺めていた女を取り敢えず座らせて、俺も傍らに腰掛け、普通の雑談をしていた。
しばらくして水樹が部屋に入ってきた。入ってくるなり、俺に「交代だ!」と言って、目で俺に出ていけと合図した。俺は意味が分からず、「交代って何ですか?」と聞いた。水樹は、じれったそうに、俺を部屋から引っ張り出して、「あの女は犯った。今度はお前が犯れ!俺は、こっちの女の方が良かったんだ。今度は、こっちを貰うから」と囁いた。
意味も曖昧なまま水樹がいた奥の部屋に入って、ゆっくり身支度をしている女を見て、ようやく何があったかを理解した。まだまだ器量がないというか、さすがに俺は犯れないでいた。
しばらく当たり障りのない会話をしていたら、突然、水樹が部屋に入ってきて、「来い!帰るぞ」と俺に言って、俺の腕を引っ張った。「帰るって言ったって、あのコは?」と聞けば、「いいんだよ、あんな女は放っておけば」と水樹。「だって、お金だって払っていない・・・」「馬鹿野郎!俺がタダで犯ってあげたんだから、アイツらが払うに決まっている」「そうなんですか?」「当たり前だよ。アイツらに言っておいたからよ。”払え“って。それより次行くゾ!次!」「またナンパするんですか?」「当たり前だろ!一発で終れるわけないだろ!また犯るんだよ!朝まで犯るんだよ!」
実に豪快な男でもあった。
水樹の高校時代は凄くもてて、彼女が27人おり、学校に行く暇もなかったそうだ。そんな彼が女に貢がせることを覚えたのは、その高校時代。ホームレスがどういうものか知りたくて、新宿公園に行き、自らホームレスとなって体験した時だそうだ。
しばらく飲まず食わずを続けて、頭が呆けて、倒れそうになりながらも、無意識に公園から出て、今の小田急ハルクの裏口で倒れていたらしい。そこに通りかかった小田急ハルクの女子店員が「どうしたの?」と尋ねた。「俺は二週間、何も食べていない・・・」と応えたら、その女子店員が菓子パンや飲み物を買ってきてくれた。その瞬間、女に貢がせることを覚えたらしい。誰に教わったわけでもなく、自分の実体験から、それを学んだそうだ。初めて貢いでもらったその女子店員は、最終的にソープで働かされることになる。
20歳のころに付き合っていた女がヤクザの情婦で、それがバレ、その女と大阪に逃げ出した。大阪で女に働かせて、市内をぶらぶらしていたら、偶然、大阪の巨大なホストクラブのNO・1の男と出会った。その男から「お前は、俺の店で働いたら、絶対に凄いホストになる」と見込まれて、店に連れていかれた。その店は入口から客席まで30mくらいあり、その両脇は全部ボトルケースがあったそうだ。その社長に紹介され、「お前は超一流のホストになれる。ここでNO・1を目指せ!」と言われ、そのままNO・1のホストの下で修行した。ホストの技術は、そこで見につけたらしい。しかし、生来の怠け癖があり、3ヶ月ほどで店を辞めたそうだ。
何年かたって、ようやく水樹が女を泣かせたテクニックを教えてくれた。
「映画と同じだよ。女を感動させればいいんだ。女を感動させるとは、『俺はお前のためなら死ねる。お前のためなら何でもできる。俺はお前に命をかけている。』これを真実のこととして語ること」だそうだ。若い時は女の前で実際に手首を切ったらしい・・・。女が制止するのもかまわず、血をダラダラ流しながら、「俺はお前を愛している・・・」と言い続けた。さすがに女は、ボロボロ涙を流して感動する。
普通の男は、そこまで言わないし、そこまで命をかけて語れる男なんていない。でも俺はそれができる。お前もやってみろ!と水樹は真顔で語った。
俺も一度実践してみたことがある。相手はキャバクラの女だった。確かに女はボロボロと涙を流して泣いた。人生にそうドラマチックな場面や感動なんてない。それは、やはり演出しなくてはならない。水樹の凄さは、全て本気でそれができるところにあった。
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